P2PとPoW 2019 2 17
書名 ブロックチェーンという世界革命
著者 神里 達博 河出書房新社
私は、2003年ごろ、このサイトで、
「サーバーのないコンピューター・ネットワークはできないものか」と書きました。
一般の人にはわかりにくいかと思いますので、
サーバーのことを「中央コンピューター」と言いましょう。
なぜ、中央コンピューターが存在しないネットワークを言い出したのかというと、
中央コンピューターの管理者が「無色透明」ならば問題ありませんが、
管理者に「政治的色彩」があり、中央政府の影響下にあったら、どうなるか。
もちろん、中央政府が純粋な民主主義政府ならば問題ありませんが、
中央政府が独裁国家や軍事国家だったとしたら、
「言論の自由」はなくなります。
さて、インターネットの歴史について書きましょう。
今でこそ、インターネットは、全世界に普及しましたが、
インターネットの確立・普及には、多くのボランティアや有志の活動がありました。
そういう人たちに共通する「思想」は、「自由」でした。
それには、「政府からの独立」や「政府からの自由」、「巨大企業からの自由」がありました。
このような自由思想が、インターネット発展のために無給でも働く情熱になったのです。
インターネットは、人々を自由にする。
インターネットは、コンピューターを民主化する。
つまり、コンピューターは一部の技術者のものではなく、みんなのものだ。
そういう情熱がインターネットを普及させる原動力となりました。
あれから数十年。
インターネットは、全く別のものになりました。
まさか、インターネットが国民を統制・支配する道具になるとは・・・・・。
まさか、インターネットが消費者を監視する道具になるとは・・・・・。
だからこそ、ブロックチェーンが出現する理由があったのです。
再び、自由を求めて、
再び、コンピューターの民主化を求めて。
経済学者のアダム・スミスの「国富論」には、
「見えざる手」 (invisible hand) という言葉があります。
ウィキペディアによると、
この「見えざる手」の背後にある思想は、
人々が利己的に行動することこそが、
市場を通じて公益の増大にもつながるということである。
ただし、スミスが、市場に無条件で全てを委ねる、
自由放任主義(レッセフェール)を礼賛したという理解は正しくない。
スミスが説く利己心は、あくまでも「同感」とセットになって、
「正義の法」に反しないものであり、
まったくの好き勝手に振る舞うこととは異なる。
スミスの考えに沿えば、独占などが行われていないフェアな市場で、
自己の利益を最大化するには、
他者の批判を招く行為に出て今後の取引に差し障ることは避けようとするはずであり、
好き勝手に振る舞うことは、むしろ自己の利益を最大化することにはつながらないのである。
そもそも、「自然的自由」「自由競争」といった表現ならばスミスの書き物には頻出するが、
「自由放任」という表現は一切登場しない。
(引用、以上)
さて、「プルーフ・オブ・ワーク」(PoW)というマイニングが、
アダム・スミスの「人々が利己的に行動することこそが、
市場を通じて公益の増大にもつながる」に該当するかわかりませんが、
ブロックチェーンは、古くて新しい技術という感じでしょう。
コンピューターが絡むから最新技術のように思ってしまいますが、
世界史を見れば、古い技術でしょう。